K2さんの雑記
2009-04-09(Thu) [長年日記]■ 日本語が亡びるとき昨年の11月頃に、図書館に予約していたが、やっと読めた。半年待ちだった。 本書に書いてあることは、だいたいの筋書きは読む前からわかっていたし、自分でもこのクライシスが存在することには以前から気づいていた。 しかし、この本はぜひ原文で読むべきである。そして読んだ後の焦燥感を忘れないようにするべきである。 一刻も早く英語を身に付かなければならないとひしひしと感じ、日々そのためにある程度の努力をしている私だが、将来の日本、子供のこと、日本を愛するが故、自分のできることは何かないのかと問わずにはいられない。 まずは、自分の日本語に対する感覚を磨くところから始めなければいけない。教養をつけるための活動の方向を、もっとそちらに振っていかないといけない。そして、自分の子供には、英語を勉強して欲しいのはもちろんだが、それに負けず劣らず、日本の膨大な文化的遺産を楽しめる人になってもらいたいと思う。 良くも悪くも(の意味はこの本を読むとわかる)識字率が異常に高い日本である。この本をぜひ多くの人に読んでもらいたいと思う。 2009-04-11(Sat) [長年日記]■ プログラマはアーティストである「ソフトウェアは工業製品ではない」、Rubyのまつもと氏が講演 − @IT 私自身、コードの美しさを感じる審美眼を持っていると思う。しかし、コードは最終生成物ではないので、コードはアートではないと私は思う。 それはわかる人だけがわかる職人芸ではあるけれど、アートではない。だから、プログラマはコードの美しさでアーティストになることはできない。 しかし、プログラマはアーティストになれないという意味ではない。 アートというのは、あくまでも最終生成物が、その最終生成物を使用する人に、どれだけ感動を与えられるかで成り立つことである。そういう意味ではプログラマはアーティストになれる。 コードの美しさ云々の話は、確かにプログラマ同士については、序列を作ったり、それだけで食っていける例外もあると思うが、あくまでもそれは希少な例であって、アーティスト云々の議論はナンセンスだと私は思う。 まともとさんの言うことは、実感としてはわかるのだが、一般的には共感は得られないだろう。コードが美しくても汚くても、生成物が同じなら、成果は同じでしょう。だからいかに美しいコードを書くかというのは、職人芸であって、決してアートにはなり得ないものだと思う。 2009-04-14(Tue) [長年日記]■ 小学校の理科の授業時事ドットコム:小学1、2年生の「理科」復活を=技術立国の推進へ提言−経済同友会 小学校1・2年は理科の授業がない。自分の娘がそうだったので、知っていた。 子供の頃、NHK教育の小学校向けの理科の番組が好きでよく見ていた。1年から6年向けのそれぞれの番組があったように思う。特に1年生向けは、「みるちゃん」「きくちゃん」の人形劇。途中で「なんだろうくん」という、ちびまるこちゃんの山田君のような人形も加わった。これが結構おもしろくて、子供の頃ませがきで、雑誌や教育番組などは飛び級して見ていた私も、ずっと見ていた気がする。 今はこういう番組もないんだろうな。 うちの娘は、理科っぽい話は好きで、宇宙の本とか結構買ってあげたりしたら喜んで読んでいた。今は身の回りにコンピュータやら高度な電気製品が多くて、僕らが小さかった頃に比べて先端技術に接する機会は多い。だから、理科という科目も、すっと入っていけると思うのだけど、理科の授業はないのはもったいない。 娘は今年3年生になって、はじめて理科の授業を受ける。一回目の授業を前日からすごく楽しみにしていた。で、最初の授業の夜、「どうだった?」と聞いてみると、「授業は時間がなくてほとんどやらなかった」という。今の小学校は、2時間くらいぶっ続けになっていて、2つの授業の境界があいまいで、最初の授業が押すと、2つめの授業の時間が短くなったりするらしい。 いやしかし、理科という学問に学校で始めて触れるその機会が、そういうことになってしまうなんて、いったいどういうことなんだろうか。と、思ったことを、この記事を見て思い出した。 2009-04-21(Tue) [長年日記]■ シャープの新ノート残念なお知らせがあります。 「光センサー液晶パッド」搭載ノートパソコン“Mebius”を発売・詳細|ニュースリリース:シャープ 私も、すのこさん同様、モニタープレゼント登録したのだが、どんなものかわからない商品のモニター申し込みもなんだかなーと思いながら、申し込んだ。 しかしこの大きさで重さ1.5kgなんてありえんだろ。ここにこんなこと書いてしまうと、モニターは絶対当選しないだろうけど、もういいや。 たとえ5万円でも私は買わないよ。 type P欲しいなー。 2009-04-24(Fri) [長年日記]■ ecostock: 遅延評価勉強法とパラシュート勉強法別に仰々しく名前をつけるような方法ではないと思うのだが。 そして、勉強とはそういうものでもないと思うのだが。 実利だけを目指すと、勉強って習慣にはできないと個人的には思うのだ。勉強すること自身がおもしろいと思えるように持っていくのが大事。実利というのはおもしろいとはある意味対極にある概念だから、実利に偏りすぎると、結局つぶれてしまうと思う。 1965|09|
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