K2さんの雑記
2005-12-10(Sat) [長年日記]■ フジ子・ヘミング私はこの人の演奏がわからない。いったい何がいいの? 何が受けているの? これに関して、こないだ嫁とけんかした。私は、嫁がフジ子の生き方に共感しているのを演奏に対する共感と取り違えたのではないかと疑ったのだ。 けんかして、私はそういえば、ちゃんとフジ子の演奏を聴いていなかったなと反省して、聞き込んでみた。しかしそれでも、あぁわからない。ファーストインプレッションと同じだった。悲しい演奏。確かに悲しいような気がする。しかしそれは淡泊な演奏だからそう聞こえるんじゃないのか…… 私は音楽を尊敬している。だからこそ、演奏家や作曲家の人生と作品は切り離して鑑賞したいと考えている。その上で、フジ子の演奏とは、そんなにいいものなのか? 好みの問題なら、それはそれでよい。しかし、鑑賞しうるレベルにも達していないのではないかという疑いが依然として私の中にある。 こんなことを書くと、嫁とまたけんかかもしれないな…… それだけならよいが、著名なブログなら、きっと炎上だな(笑) ■ シベリウスの2番家族みんなもう寝静まってしまっているので、耳直しにシベリウスの2番を聴いた。久しぶりだ。 クラシックを聴き出した大学の時、最初に買ったレコードのうちの一枚がこれだった。ベルリンフィルとオッコ・カムが競演した演奏だ。オッコ・カムはフィンランドの指揮者で、ヘルシンキフィルで振っている。ヘルシンキフィルにはベルグルントという左利きの有名な指揮者がいて、オッコ・カムは、日本ではほとんど知られていないだろう。 たまたま、はじめてクラシックを聴こうと思ったときに選んだレコードがオッコ・カムだった。それもベルリンフィルと競演したという、よくわからない奇跡のレコードだった。 この演奏が、私の心をとらえた。3楽章から4楽章へアタッカでつながり、4楽章の主題を勇壮に演奏する部分、ここに私は参ってしまったのだ。 シベリウスの2番については、これ以降、いろいろなCDを買ったが、これを超える演奏には私はついに巡り会わなかった。LPレコードを再生する機器を持っていなかったので、オッコ・カム+ベルリンフィルの演奏については、長い間聴きたいと思っていたのだが聴けない日々が続いた。 それが、3年くらい前か、あるWebページで、「CDで再販されているよ」という情報をつかんだ。Amazonで検索してみると、確かにある。喜びいさんで買った。その当時の演奏が再現された。 たぶん、最初に聴いた演奏だというバイアスもあるのだろう。しかし、私はオッコ・カムの演奏がよいと思う。実は、ヘルシンキフィルが来日した演奏については2回、ベルグルンドをさけ、オッコ・カムを聴いた。そんな人はいないだろうな……(笑) どこがいいと説明せよと言われても、私は説明できない。嗜好性というのはそういうものだと思う。なぜか、あの4楽章第一主題を聴くと、涙が出てしまうのだ。 しかし、フジ子の演奏は、ほんとうに同じ類のものなのだろうか。それがわからなくて、googleを頼りにWebページを徘徊してみた。やはり私の疑いは晴れないのであった…… ■ なぜ疑うかたとえば、こんな表現がある。
気持ちの伝え方から引用。 私には、音からそんなややこしい概念が伝わるとはとうてい思えないのだ。音は単なる音だろう。 たとえば、長大な構成が文学的な概念を伝える音楽というのは事実上存在する。ところが、音一つや音色から、そんな複雑な概念が伝わるわけがない。もし伝わるとしたら、それは鑑賞者の先入観が見せる差別意識そのものではないのだろうか。 いくらWebをクロールしても、バックグランドに言及しない賛辞に巡り会うことができない。やはり疑いは疑いのまま私の中にある。 [ツッコミを入れる]
1965|09|
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