1999年1月-2
会社の中でコンピュータを使っていると、 LANというものでインターネットと常時つながっているわけで、 ブラウザを立ち上げたら即座に世界のサイトを見ることができます。
それはすごいことなんだけど、 最近ちっとまずいなと思っているのが、「自己管理」。
何せボタン一つでアトラクティブなコンテンツにアクセスできるから、 仕事中でもなんでもお構いなしに、ちょっと一休みと見に行ってしまう。
後は、メール。 メールクライアント(俗にいうメーラー)は常駐しているので、 ワンクリックで表示させられます。
MLにもいくつか入っているので、メールはしょっちゅう来ます。
で、メールを確認するためのボタンを、すぐに押してしまう癖がつく。 ひどいときなら30秒おきとか(^^;
これをメール中毒という。
この辺の自己管理って、今の僕の状況だと、結構難しい。 一つのことに集中しにくい状況が続いています。
本を10分も読むと、メールチェック。
図面を5分チェックすると、ブラウザを立ち上げる。
こりゃまずいわ。
とりあえず、時間制限して、それ以外はブラウザは立ち上げないと誓う。 仕事で使う場合は仕方ないけどね。
メールは、自動チェックだけにまかせる。1時間に1回。
一応、それだけを心に決めました。実行1日目。午前中は成功。
やっぱり日々の精進というのは大切なので、こつこつやっていかんとね。
昔からF1好きだったんですよ。 でも、雑誌を定期購読するというところまでは行かなかったし、 今週くらい放送があるだろうとその日の新聞をチェックするという感じだったので、 忘れていて見逃すことの方が多かったくらい。
それに、テレビだけを見ているだけだと、情報が少ないんですよねぇ。 実況・解説の言葉の端々にあらわれる、 ちょっとした情報から想像を膨らませるくらいしかなかったんですよ。 また解説の人がもう少しテレビ見ている人のことを考慮してくれればいいのに、 そうじゃないようで、 前回のテレビ放送から今回までの間に起こったことが、 ニュースとかで知れ渡っているという前提の元に、 話をしているとしか思えないようなことがよくありました。
昨シーズンは違いました。僕にはWebという強い味方がついたのです。
F1のサイトは、国内外を合わせるとすごい数に上ります。 ニュースは海外の方が強くて、 国内のサイトはそれを探し出してきて日本語に訳して載せてくれるところが多いです。 そういう情報は、それはそれは楽しい。 今まで情報が欠乏していたから、F1の見方が全く変わってしまいました。
もう一つの大きな情報源は掲示板。日本にもF1フリークは多いですよね。 どこからそんな情報を仕入れてくるのというようなことが、 ばりばり書き込まれています。 僕は、そういうのをROMして楽しんでします。
そんなわけで、去年は次のレースが待ち遠しくてたまりませんでした。
今年、日本人の中野信治と高木虎之介は、二人ともまだシートが決まっていません。 こんなこともテレビだけ見ていたら全くわからなかったことです。 今年は、もし二人のシートが決まったら、数時間後にはもう知っていることでしょう。 早く決まってしまえばいいのにね。
昨年1年で、それまでに比べるとあまりにもF1に詳しくなってしまいました。 今シーズンも見所一杯で楽しそうです。
応援しているところですか? いっぱいあるので、 この一つと決められないのですが、とりあえず来年は、「日本人二人」・ 「マクラーレン/ハッキネン」・「ジョーダン無限ホンダ/ヒル」としておきましょう。 僕は、アンチ・シューマッハです。
現在、僕が設計した回路図からプリント基板の設計を、 シンガポールの設計会社に頼んでいますが、 悪戦苦闘しています。
基本的に、気を利かせて何かするということをしてくれないのです。 これが日本なら「気を利かせて」効果で品質の高い製品ができるのですが、 なかなかそうはいかない。
日頃から思うのですが、 最近日本に鬼のように押し寄せてきている海外の規格ってあるじゃないですか? たとえばISO9000とか、環境の規格とか。 あと、パソコンの電源にシールが一杯貼ってありますよね。 UL、TUV、CEなど、その手の規格はたくさんあります。
この規格を通さないと海外で製品が売れなかったりするので、 仕方なく通すわけですが、規格が非常に杓子定規なんですね。
確かに、すべての人がそれを守れば、全体のレベルは上がるけど、 わかっている人には不要なことってあるじゃないですか。 そういうのが細かく列挙されているので、非常に手間を食うんです。
中には、どう考えてもその規則がなぜあるのかわからないようなものもあります。
製造の分野でも、アメリカでもそのようですが、 細かいところまで指示をすべて書かないとものができないようです。 つまり素人でもわかるように図面を書く必要があるということ。
日本の製造技術が世界のトップを取った理由には、 製造部門での「作り込み」という現象があったという話です。 新しい製品の図面が製造部門に降りてきたとき、 最初はそのまま作るから品質はそこそこしか出ない。 しかしそのうち、製造部門の人たちに与えられている権限の中で、 ものの作り方を変えていってしまうわけです。 そうすることで、製品の品質があがっていく。 そのためには図面の中である程度曖昧にしておく必要があった。
海外から製造に関する規格が入ってくると、 図面に曖昧なところがあってはいけなくなります。 もちろん道理にかなっているんですが、 今までの「作り込み」という現象がどんどん無くなってきていることは確かです。
もちろん、製造部門から設計部門に不具合のフィードバックルートはちゃんとあるんですが、 そういうので反映しなくても一応製品が正常に作られていくようなことなら、 フィードパックはかかりません。
日本人の性質を生かした製造、 これをやってこそ日本の工場の品質は上がっていたのですが、 その時代は過ぎ去ろうとしているようです。
また僕は慣れない英語で、プリント基板上の部品のマークの縦横をそろえろとか、 そういう指示をするのです。
いやぁ、困りました。何が困ったって、 多項式を一次の多項式で割る方法を忘れちゃったんですよ。
「2X^3 - 3X^2 - 2X + 3」を「X + 1」で割ると、答えはいくら?
最初の式に、X=-1を代入すると0になるから、 割り切れることは確か(ここまでの知識は思い出せた)。 ところが、さてどうやったら割れるのか、その方法を全く忘れてしましました。
この計算、高校の数学の最初の頃にせっせとやった記憶はあって、 それらしい筆算を手でやろうとするとなんとなく手が覚えているんですが、 全く忘れちゃってます。
結構ショック。
僕は、高校までの数学は一応今でも使えるものと自分に自信を持っていたんですが、 こんな結構基礎的なのを忘れているとは。
その後、どうやって割っていくのかを導き出して、 筆算の方法を自分で編み出しましたが、その過程で徐々に手が思い出して行きました。
中学・高校の頃、少なからず、「こんなの勉強して、将来役にたつんやろか?」と、 疑問に思うことがよくありました。周りの大人もそういうことをいう人がいました。
今の教育制度は、身がないとか、役に立たないとか、 主に教育制度批判なんですけど、 現役でつらい勉強をこなしている身としてそういうのを聞くと、逃げが入ります。
「役にたたないんやったら、やってもしゃーないやん。 今日はさぼろうよ」なんて悪魔がささやくんです。
そりゃぁね、親や先生なんかが子供の僕に話しかけるとき、 「将来のためだ」とか「勉強をしっかりしておかないと困るよ」なんていうわけです。 でも、子供は親が思っている以上にかしこいもの。そんな話の一方で、 教育制度批判の話も耳に入ってきますから、 自分で出した結論としては、「今やっていることのほとんどは、将来役に立たない。 すべてはいい高校、いい大学、 いい会社に入るために勉強をするのだ」ということになってしまうわけです。
そうすると、勉強がつまんなくなってしまう。
ところが、そんな風に思って大人になって仕事をするようになっても、 なんやかんやと勉強したことは役に立つ。 僕は、仕事が電子回路設計とか、物理関係、コンピュータなど多岐にわたるから、 物理・数学なんかは特に使う。最初のエピソードはその例です。
仕事以外でも、たとえば人の書いた文章を読んでいるときや、 テレビを見ているときなんかに、 中学・高校で勉強したことが「うんちく」になって理解が深まることが多い。
僕は車を走らせるのが好きだけど、運転がうまくなりたいなと思う。 そんな時に、高校の物理は非常に役にたつ、というか高校の物理を知らないと、 車の挙動の基本が頭では理解できない。
今の政治や日本の将来についてあれこれ考えるとき、 日本史・世界史の知識がないと考える材料が不足します。 日本人として当然この国のあり方とかについて、 一人一人が考える義務を持っていると思う。 その時に、社会の勉強はその基礎になってくれます。
たびたび書いているけど、英語に関しては読み書きだけなら僕らの時代の英語教育も、 そこそこ役に立ちます。
実際、中学・高校で勉強することは、大人になってから役に立つんやなぁというのが、 今の実感。 子供の頃に覚えたことは、非常に忘れにくい。最初のエピソードで「手が覚えている」 ということを書きましたが、これがいい例です。 考え方を体の筋肉が覚えていると言う感じで、大人になってから身につけた知識が、 ここまで体の一部になることは、非常にまれです。その時期に、 半ば強制的に知識を詰め込まれるのは賛否両論あるけれど、 簡単に「悪いもの」と決めつけることは僕にはできない。
自分の子供を持ったとして、どういう風に子供を教育していくかをたまーに考えますが、 ここまで書いたような感覚を徐々に整理していくのも、役に経つような気がします。
しかし、勉強が楽しいものとして教育されたことは、僕には記憶がないです。
昨日たままた京都インターネット(プロバイダ)のウェブページ一覧を見ていて、 こんなページを見つけました。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/haselic/
中学教師のページですが、こんな先生に教えてもらうと楽しいだろうなと思います。 教師としてこんな教育を実践していくのは、いろんな苦労があると思いますが、 この先生は尊敬に値します。
さて、お約束した震災報道についての第2段。
震災から日が経つにつれ、どんどん災害の全体像が明らかになっていきます。 死者は5000人を越え、淡路島の断層が1メートル以上ずれていることがわかり、 都市直下型地震の恐ろしさが明らかになっていきます。
で、危機管理の話がはじまり、 各テレビ局とも「もし東京で地震が起こったら」という特集をはじめます。 地震から3〜4日後のことだと思います。
バラエティなんかからも、 「もし東京で起こったら」という話がたくさん聞こえてきます。
これを関西に在住して聞いていると、すごく不快に感じます。 僕は、洗面台の棚のものが全部落ちたとか、 額が落ちてその下にあった靴箱に傷がついたとか、 そういうのを除いて直接被害にはあっていません。
もし、家が全壊してしまった方や、身内が亡くなられた方がこの報道を聞くと、 どう思うのでしょう。
そりゃ、東京にマグネチュード7規模の地震が来たら、 日本の主要機能は壊滅状態に陥るかもしれない。
しかし、それをまだ震災から1週間も経っていない時期にする必要はないでしょう。
そりゃ、東京のキー局に取ってみれば、 自分の局の視聴者が見たいものを放映するのが企業論理だから仕方がないといえば仕方ない。
問題は、それを全国ネットですることである。
結局、日本の情報の流れは、東京から網の目状に放射されるだけという現実が、 あんなに不自然な番組を阪神地区の市民が見る羽目になったことの理由だと思います。
もうちょっとなんとかならないかな。せめて東日本と西日本にキー局が分散するとか。
首都移転しても、 東京の人口は1%も減らないんじゃないかという話を聞いたことがあります。 政治機能だけを移してもだめなんでしょうね。 情報発信基地として一番の巨人であるテレビ局、 それに出版社などが分散していかないと、文化東京一極集中は緩和できないんでしょう。
日本の国土は狭いんだから、もっと効率よく使って住み易くしようよ。
その時、僕は京都にいました。京都でも震度5でしたから、 生まれてから会った一番大きな地震でした。
しかし、そのまま7時まで寝てしまったのは、 震源からかなり離れていたからでしょうね。
いつもより30分くらい早く起きて、 「そういえばでかい地震だった。 これは絶対報道やってるよな」とテレビにかじりつきました。
思惑通り、1つのテレビ局と教育テレビをのぞいて、 すべてのチャンネルで地震の話題をやってました。 見ているうちに死者数が100人を越え、 「これはすごいことになっている」と徐々に恐ろしくなってきました。
阪神高速が倒れているのを見たときは、 はじめは何がなんだか理解できなかったのを覚えています。
さて、震災に関してはいろいろと書くこともあるのですが、 今日は、その報道していなかったテレビ局のこと。
どこだと思います? テレビ東京系のテレビ大阪だと考える人が多いだろうなぁ。
なんと、それは朝日放送。テレビ朝日系の大阪の局です。
テレビ朝日といえば、ニュースステーションなどで代表されるように、 報道番組に力を入れてますよね、良くも悪くも。 その系列局が、地震の報道をしていなかったのがちょっと意外です。
朝日放送の朝といえば、「おはよう朝日です」。 この番組は僕が小学校くらいのときからやっていたように記憶していますので、 20年くらい続いているのではないでしょうか?
結構くだらない番組で(失礼)、芸能ニュースなんかも多いバラエティですね。 まぁ朝だからニュースも多少やりますが。 ズームイン朝のよりももっとワイドショーに近いです。
忘れもしません、7時30分頃、いろいろなテレビ局を見ていた僕は、 朝日放送を見てあぜんとしました。
確かさっきまでは地震の報道していたよなぁ。
そうなんです。さっきまではやってたんです。それが、 今はタレントがどっかの公園で運動しているかじゃれているか、 そんなVTRが流れています。
7時半には、もう戦後最大規模の災害になっていることはほぼ確実に認識できました。 しかし、朝日放送は……。
なぜそのVTRを流していたのか、未知です。 何人の人がこの事実を認識したかわかりませんが、 たぶん放送局としての1生涯の恥でしょう。
なお、震災の報道に関してはもう一つ書きたいことがあるので、明日も続ける予定です。
時期WindowsNTであるWindows2000、なんか出荷が遅れるという話が聞こえてきます。 来年になっちゃうっていう噂なんですが、まだ噂の域は出ていません。
日本語版は「まぁ来年かな」と思っていたのですが、 もし英語版の出荷が来年になると、 日本語版は夏以降ということにもなりかねません。
まぁ、OSなんて大した問題じゃないとも思うのですが、 それがそうも言ってられない。 まず、僕の場合、一応オンラインソフトを開発している立場上、 新しいOSは常に把握しておく必要があるのです (といいながら、Windows98は持ってないのですが)。 今度のWindows2000は、Windows95/98のラインも統合されて、 NTとともにラインナップが一つになるということなので、俄然注目しています。
もしハードウェアが非力なら、OSの入れ替えとともにマザー・ CPU換装も含めたバージョンアップも考えています。
まぁ、1台はWindowsNT4.0と95のデュアルブートマシンとして残す必要はありますが。
逆に、その時点まで、大きなバージョンアップはしないということで、 現在のマシンでがんばるしかありません。
Windows2000の発表が遅れて困るのは、本業の仕事も大きいのです。 2000年の春に発表する新しい製品を開発している最中なのですが、 そこに搭載するコンピューターにはWindows2000が載る予定です。
たぶん英語版が載ると思いますが、 最悪間に合わないなんてなるとややこしい話になりますね。 というか、もう現在の予定で、 製品一号機からWindows2000にすることはほぼ不可能なんじゃないかしら。 上司にもう一度問い合わせておきましょう (まぁ僕の直接の担当ではないので、こういうことは担当の人が考えているでしょう。 だから、余計なお世話かな)。
しかし、Windows2000と命名された時点で、 2000年に出ることはほぼ確定なのに(そうですよね?)、 今更騒いでもしかたないっすよね。
やってくれるわ、Microsoftさん。
実は、コカコーラが結構好きなんです。 で、たまに1.5リットルのペットボトルを冷蔵庫に入れてます。
1週間くらいかけて飲むのですが、 その間炭酸が抜けるとおいしくなくなるので、ポンプ付きの栓でしめて、 空気を入れて内部圧力をあげてます。 こうすると二酸化炭素が抜けていくのをある程度防げます。
ところが、結構、このポンプを動かすのが面倒なんですね。 30回以上上下運動させないといけないので、あんまり楽しい作業じゃない。
昨年だったと思うのですが、テレビの「○○家の食卓」で、 炭酸が抜けない方法として紹介されていたのが以下の方法です。
その方法とは、ペットボトルをつぶして、 余分な空気を抜きだして栓をしてしまうということなんですが、 テレビの中で実験もしていて、確かに効果があるということでした。
これを見ていて、「こりゃ簡単でええわ」と短絡思考してしまった僕は、 その後、コカコーラを買ってきたときに試してみました。 コップに二杯くらい飲んだ後、ペットボトルをつぶして空気を抜き、 栓をして冷蔵庫へ……
後日、冷蔵庫から出してみると、見事にペットボトルは元の形に戻っていました。 飲んでみると、完全に気が抜けている……
よく考えてみれば当たり前のことなんです。ペットボトルをつぶせば、 ペットボトルが元に戻ろうとする力の分だけ内部の気圧が下がり、 二酸化炭素は抜けやすくなります。
考えずにやってしまった自分が恥ずかしい。
責任をとって、気の抜けたコーラはちゃんと飲みました。 子供の頃は、これも結構好きだったのですが、 大人になって砂糖水は飲めなくなりました。まずかったよー。
問題は、実験までしていた「伊藤○の食卓」だよ! よくもまぁぬけぬけとやらせをやっているもんだ。 しらけ鳥だけ飛ばしていればよかったものを!(古すぎて誰も覚えてないって)。
この番組では、生活に役に立つ情報としていろいろな工夫を紹介しているようなのですが、 中には本当に役に立つものもあるようです。 その時は、視聴者の考案した工夫を紹介するという構成になっていました。
その時は、どうしてそんな嘘を放送してしまったのでしょう。それも実験付きで。 ころっとだまされてしまいました。 今回の損害は、まずいコーラを約1.2リッターほど飲んだことで済んだけど、 もっと大きな損害が出たら、このテレビ局は責任を取ってくれるのでしょうか?
「とんでも科学」「超科学」の話が好きで、 その手のテレビはつっこみを入れながら見たり、 その手の話はにたにたしながら読んでいる僕の、面目丸つぶれの話でした。 自己への戒めとして、ここに記しておきます。
なお、「とんでも」系の話はにたにたしながら見ますが、 それを使って商売をしているのを見ると、非常に腹が立ちます。 この関連話についても、機会があれば書きましょう。
あまりにも仕事(本職)がのんべんだらりと進まないので、 1日の時間割を作ってみました。 とりあえず1月中だけ運用するものです。
午前中、メールなどのチェックをして、 その後comp.dsp(アメリカのニュースグループ)をチェック。 その後、英語ドキュメントを詳解。
お昼休み。
昼からは、今回僕の担当の回路基板のファームウェア関連の設計業務。
夜は、参考書の読解(英語)。
さて、使用する言語を考えてみると、午前はまず日本語からはじまります。 しかし、その後3時間くらいは英語。
昼からはアセンブラとVHDLという言語を使用します。 動作解説書は日本語で書きます。 ただし、その他調べなければならない文献は、すべて英語。
夜の部は英語。
いかに英語の時間が長いか... 僕は英語はきらいなのよー(T_T)
この時間割を今朝作って、今日からこなそうと思った矢先に、 シンガポールからの設計基板の検図依頼。これまた英語。
これだけ英語を読み書きすれば、多少なりとも上達するかと思うのですが、 会話に関しては全然だめ。そもそも英会話は僕は才能がないのです。 それに、いくら読み書きをこなしても、英語を読むときはほぼ日本語で考えている。 これでは読み書きにしてもスピードが上がりません。
生涯、日本語だけで生活したいものです(はかない夢)。 日本語でまとまった文章を書く、この日記や、メールなどは、 日本人としての尊厳を保つために必要なことです。
さぼりもって仕事しよ(ぼそっ)