自己紹介(1996/4/2)

 みなさん、こんばんは。作者のK2です。

 僕は、一部ではかんかんと呼ばれています(昔のチャット仲間など)

 生まれた所は大阪市で、育ったところは、大阪府の南の方です。
 大学から京都にやってきまして、もう10年以上が経ちました。
 京都は第2のふるさとになりましたねぇ。

子供の頃から

 とにかく科学的な事に興味を惹かれる子供でした。
 特に電気系の物事に関してはすごかったですね。
 小学校の時にアマチュア無線の免許を取り、屋根の上に鉄塔を建ててアンテナを架設しました。
 学校から帰ってきては、無線機に向かったり、半田こてを握っていたりと、変な少年でした。
 高校になるとちょっと電気関係からは離れました。
 高校の天体部に所属していた関係で、星の事に関しては結構詳しかったりします。
 天体部は、僕の高校で唯一「夏休み合宿」が認められていたクラブで、これがまた楽しかった
 共学だったこともあって、男女生徒そろって、山の小屋にこもってペルセウス座の流星群を観察しました。ところが曇ってしまうと観測ができないので、山小屋にこもってトランプをしたり、代々伝わるゲーム(例:ウィンクゲーム。知ってる人はメールください)をしたりと、こっちの方が楽しかったかもしれない...
 進路は電気関係と心の中で決めていたのですが、浪人している時に考えすぎて理学部に進んでしまいました。
 これが失敗の元。僕はどうしても実践向き、工学向きの人間でした。というより、最近になって気づいたのですが、僕はいつも何か物を創ってないと生きられないのです。
 もっと早くわかっていれば...とちょっと思います。
 現在は、某企業でエレクトロニクスエンジニアをやっています。

物を創るということ

 僕は、いつも物を創っていないと満足できないようです。
 会社の仕事でちょっと意外に思ったのは、思っていたより物を創る喜びを感じられないということ。
 雑多な仕事が多すぎて、本来の開発ができないんです。
 まぁ開発計画自体遅くて、あまり自己実現できる場が少なく感じてます。
 自分が、「あ、俺って物を創ってないとだめなんだな」と思ったのは、4年くらい前にラジコンカーを創ったときです。
 なんか毎日が満たされなくてもやもやしていたとき、たまたまちょっと電動ラジコンカーがブームになって、昔作ったことがあったこともあって、「ちょっとやってみよう」と思いました。中学生の時にラジコンカーを作ったときは、もう貯めに貯めた全財産をはたいて買ったのですが、そこは金銭的には余裕のある社会人、簡単に買えてしまいました。

 ラジコンカーを組み立てているときの楽しさ、至福感、これは人には説明できませんです、はい。

 この時、なんでこんなに楽しいんだろうとふと疑問に思って、よく考えてみると、この結論が導けました。
 なんだ簡単なことじゃないか、僕が満足しようと思ったら、何かを創ってればいいんだ。そう気づいてから生活がふっと楽になりました。会社の方だけじゃなかなか満足な物造りができないので、結局趣味でもいろいろとやりはじめてしまいました。
 今夢中になっているのはプログラミングです。NIFTY-Serveに接続して巡回するためのオートパイロットソフトを開発しています。当分はプログラミングの熱はさめないでしょう。

コンピュータとのおつきあい

 僕がはじめてコンピュータを買ったのは、大学の1年生の時でしたが、中学生くらいから激しい興味がありました。その当時はまだボードコンピュータ全盛の頃で、高くてとても手が出ませんでした。欲しくて欲しくてたまりませんでしたが、この夢を実現できたのが大学1年生の時。入学祝いをかき集めて全額パーソナルコンピュータを買う資金に費やしてしまいました。買った機種はPC-9801U2。98の中では一番安かったので。まだフロッピーしかついていない時代でした。当時はBASICが標準でついて来て(というかこれしかソフトがない)、マニュアルを読んではプログラミングをして、気がつくと外が明るくなっているという日々が続きました。僕は下宿をしていましたし、大学はほとんど行ってなかったので、全くの自由でした。今考えると時間がもったいないもったいない。今は1時間がもうすごく貴重です。泣きそうに貴重です。

 その後98を2回買い換えて(計3台)、今のマシンはIBM-PC Compatibleマシンで4台目。DX4-100なので、そろそろきつくなってきました。Windows-NTを動かしたいのですが、どうしても非力でだめです。Windows95は快適に動作しています。
 できればそろそろ次のマシンが欲しいです。

Delphiとの出会い

 Borlandさん、やってくれます。Delphiは僕を魅入れてやみません。
 95年の秋、久しぶりにプログラミングがしたいなぁと思って、なんか開発環境買おうとぶらっとソフト屋さんに行きました。知っていたのはVisual Basicぐらいで、下調べもしなかったので、Visual Basicの使えるバージョンがあんなに高い物だとは思いませんでした。5万円くらいしたかな。
 山積みにしてあるVBの隣に、やはり山積みにしてあるDelphiという文字。「そういえばDelphiはいいらしいという噂を聞いたことがあるなぁ、確か言語はPascalだよな」。これくらいの知識はありました。PascalはC言語に似ていて、C言語はDOS時代に使っていたので、ためらいはありませんでした。値段を見ると2万円しない。「あ、これしかない」。VBに後ろ髪ひかれる気持ちもありましたが、迷ったあげくDelphi Ver1.00を買いました。

 使ってみると、結構すんなり入れました。Windowsの開発環境で一番簡単に入れて一番早くアプリケーションを作れるDelphiですから当然といえば当然なんですが、これは意外でした。Windowsプログラミングは難しいと聞いていたので(これは後々思い知ることになります)。それにちまたにあふれていたVBのアプリケーションより癖がなくて、実効速度が断然速い。Delphiを知るに従って、Delphiはすごい、Borlandはすごいと思うようになりました。
 とりあえず、その当時困っていた、NIFTY-Serveへ接続するためのソフトを作ろうと、秀タームのスクリプトと組み合わせてアプリケーションを作り出したのが、96年の3月くらいです。はじめは自分のためにつくっていたから、メールのやりとりとホームパーティの読み書きができればそれでよかったのですが、作っているうちに欲が出てきて、公開しようと思い立ちました。公開するならこれじゃいかんと、それから本を買い込み本格的にコーディングを始めました。アイコンを嫁様に作ってもらい、Ver.1.00を公開したのがその年の6月でした。開発コードはAutoNIFTYだったのですが、あまりにもつまらないネーミングに嫌気がさし、センスのなさを省みず、NIFTY-Serveを快適に使ってもらえるように願いをこめて、WithNIFTYとネーミングしました。

 DelphiはVer.2.00になってさらに進化。値段はお高くなってしまいました。もし最初の僕が、今のDelphiに会っていたら、隣のVBを買っていたかもしれません。もしかしたらVC++Standerdを買っているかもしれません。Ver.1.00が安くてよかったよかった。